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感動のアンビリバボー!ガーナで英雄になった日本人! [アンビリバボー]




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毎年2月下旬、アフリカ・ガーナの小さな村では、1人の長老の功績を耐える式典が盛大に執り行われるんや。
かつて、26歳という若さで村の指導者である長老になり、今もなお、英雄ととして語り継がれる、
その人物のなは…武辺寛則。そう、日本人なんや。

だが、一体彼は何故、26歳という若さで、日本から遠く離れたガーナで長老となり、今もなお愛され続けているのか?
ガーナの首都、アクラから西へ120キロ、人口わずか300人足らずのアチュア村。
かつてここは、電気も水道も無く、自給自足でなんとか生計を立てる、ガーナでも最も貧しい村の1つだったんや。
しかし、今から29年前、この小さな村に1人の成年海外協力隊の隊員が赴任してきたんや。当時25歳の武辺寛則さんやった。
そこには、1人の若者が抱いた小さな夢が起こした、大きな奇跡が秘められていたんや。
  
 武辺さんの任務は村落開発。現金収入が得られるプロジェクトを村人と一緒に考え、
彼らが貧困から脱却するための手助けをするというものだったんやが、村にやってきた武辺さんに
ある村人が「何をしてくれるんだ?」といきなり言い出したんや。

そして、武辺さんが「やるのはあなたです。僕は未来に向けて、アチュワ村を豊かにする手助けがしたいんです」と答えると…
「未来?この村を豊かにする?何を言ってるんだ。話にならねぇな」と言って、帰ってしまったんや。
武辺さんは当初、彼が言っている事の意味が分からなかったんや。だが…生まれた時から貧しい事が当たり前の彼らに、
自分の力で生活を豊かにするという発想は無く、彼らに取って協力隊員は直接的に援助を与えてくれる便利な存在でしかなかったんや。
それでも武辺さんは、村人達に未来への希望を持って欲しい一心で、あるプロジェクトを立ち上げたんや。
それが養鶏プロジェクト。実はガーナ人は無類の卵好き。養鶏場を作って卵を生産し、首都で販売すれば現金収入を得られる。
儲かる事さえ理解してもらえれば、村人達もみんな喜んで参加してくれる、武辺さんはそう確信していたんや。
 
だが、村人にマイケルは、見せたいものがあると、武辺さんを呼びにきたんや。
彼が武辺さんに見せたもの…それは首都アクラに出稼ぎに行くため、村を出て行く人の姿だったんや。
実はこの年、アチュワ村のあるガーナ西部が干ばつに教われ、トウモロコシなどの作物が壊滅的な被害を受けていたんや。
そして、村人達は、「未来を考える余裕なんか無い。今日食べるものも無いんだ」と武辺さんに訴えたんや。
養鶏には餌代や、ワクチンなど、多額の費用が必要。もし鶏が病気で全滅でもしたら、借金だけが残るんや。
今日食べるものにさえ小丸村人達には、到底無理な計画だったんや。
 
その時の武辺さんは手記にこう記しているんや。「協力隊より生活に必要な額を支給されている僕は、
村人がこんな状況になっているとは、彼らに知らされるるまで気付かなかったのだ。自分のプロジェクトばかりを見ていて
彼らの生活を忘れていた。その晩恥ずかしさと悔しさで、なかなか寝付けなかった。協力隊員として俺は失格なのだろうか……」
その後、武辺さんは様々な支援団体に食料援助を要請。村はなんとか一息つく事が出来たんや。
だがこのままでは、干ばつが起きるたびに、村人が苦しむ構図は繰り返されていくんや。
養鶏場の失敗をふまえ、かかる費用が少なく、村人が参加しやすいプロジェクトが無いか、武辺さんは毎日、
村中を探し続けたんや。そんなある日、干ばつにも枯れる事の無かった果実、ファインパイナップルを持っている村人に出会ったんや。 
ファンティパイナップルは、一般的なパイナップルよりも小ぶりで青っぽいが、酸味が少なく 甘みもたっぷりで、首都アクラでも人気があったんや。
しかし、ファインパイナップルは、一本につき5〜6本の苗が生える。そのため、最初の苗さえ購入すれば、毎年増えていくんや。
養鶏と違い、維持費がほとんどかからないんや。
武辺さんは、ファインパイナップルの栽培をしようと村人達に呼びかけたんや。しかし彼らは苗を買うお金はなく、
現在栽培されているわずかな苗を増やすとしても、収穫までに一年半かかるため、明日の生活も分からないアチュアの人々は、
売り上げの単価は安いけれど短期間で収穫出来るトウモロコシなどを栽培していたんや。
 
だが、その1ヶ月後…村にファインパイナップルの苗が届いていたんや。
実は、武辺さんは外国の大使館をかけずり回り、援助を要請。
苗を買うために必要なお金を集めて回っていたんや。だが、武辺さんの計画に賛成してくれたのは村人の3分の1程だったんや。
それでも武辺さんと、プロジェクトに賛同してくれたマイケル達の挑戦は始まったんや。
そしてここからが、本当の苦難の始まりだったんや。まず、栽培用の畑を一から開墾。農業用の機械などあるはずも無く、全てが手作業。 

さらに大きな問題があったんや。武辺さん自身、農業は全くの素人だったんや。そのため最適なパイナップルの栽培法を求め、
ガーナ中を飛び回り、農業指導をしている隊員に相談。夜は土壌改良の方法など、慣れない専門書を読み漁り、日中は気温40度を越す酷暑の中、
先頭になって働き続けたんや。 

アフリカで困っている人を助けたい……幼い頃の夢を載せてようやく植えられた苗は、順調に成長し始めたんや。
そんなある日の事、プロジェクトにずっと反対していたジョージという村人が、自分もやってみたいと言ってきたんや!
パイナップル作りに参加する村人は、1人、また1人と増えていったんや。村人達の意識は少しずつ変わり始めていたんや。
マイケルは武辺さんに「ずっと村に残ってくれないか?」と言い出したんや。しかし武辺さんは「僕なんかいなくても、
君たちだけの力でやっていけるようになる。それが僕のもう1つの夢だ」と言ったんや。
するとマイケルは「村の長老になってくれないか?」と言い出したんや。

「村の長老になれば、日本に帰ってからもずっと村の人間だ。忘れないで欲しいんだ。俺たちの事を……」
 そして、武辺さんは村のNo.3の立場にある長老(ナナシビ)に就任。わずか26歳の外国人が村の長老になるのは、
異例中の異例だったんや。
武辺さんの情熱で変わり始めた村人たち。パイナップル畑も順調で、夢は実現間近に思われたんや。しかし……収穫まで後半年に迫った時、
思わぬ事件が起こったんや。
その日、武辺さんは病人を運ぶため、隣町への道を急いでいたんや。そのときハンドル操作を誤り、道路から転落。
その後行われた懸命な治療も虚しく、1989年2月25日、武辺さんはわずか27年の生涯を閉じたのや。
マイケルは悲しみに暮れながらも、武辺さんの夢を引き継ぐ事を決意、畑に向かったんや。
さらに……村の人達も畑仕事を続けるために集まってきたのや。それはかつての村人達ではなかったんや。
武辺さんという指導者を失っても諦めるものは誰もいなかったんや。そこには未来に向けて自分達の意志で歩み始めた村人達の姿があったんや。
そして、武辺さんが亡くなってから半年後、彼らの目の前に広がっていたのは、見渡す限り、一面に敷き詰められた
パイナップル畑だったんや。その後、パイナップル畑は村人達の手によって拡大されていったんや。そして、アチュア村のパイナップルは、
首都アクラ、さらにはヨーロッパにまで出荷されるようになったのや。
さらに、その現金収入がアチュア村に大きな変化をもたらしたんや。
村人達がお金を出し合い、電気や水道などのライフラインが整備されていったんや。ガーナで最も貧しい村の1つだった
アチュア村は豊かな村へ変貌を遂げたんや。

だが、変わったのはそこだけではないんや。
村中に未来を信じ、前向きに生きる人々の笑顔が溢れるようになったんや。武辺さんの夢見た風景がそこにはあったんや。

武辺さんの死後、アチュア村にはその功績をたたえる記念碑が建てられたんや。もちろん、費用を出したのは村人達。
記念碑がある武辺ガーデンは亡くなってから26年が経つ今もなお、大切に守り続けられているんや。
そして、武辺さんが亡くなった2月になると、彼の意志を後世に語り継ぐために村を挙げての盛大なセレモニーが毎年開催されているんや。
実は、亡くなる半年前、武辺さんはガーナで遺書を書いていたんや。「私はとても穏やかな気持ちでこの手紙を書いています。
私の体に間違いが起こった時のために残しておきます。僕は自分自身で選択した道で、こうなったのだから後悔はありません。
最後に自分の死に際して、もしもお金が集まる事があれば、恵まれない人のために使って欲しい」
こう記されていたんや。ご家族は遺書に従い、そのお金で、アチュア村に学校を開設したんや。

いや〜。凄い人もいるもんやね。
遺書を書いていたのも凄い。
まず行こうと思うのが凄いよね。
ここまでじゃないけど、俺も何かできるのかな?
ほなまたね。

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